問
六月に祇園会というのがあるのはいつのころから始まったのでしょう。
答
そもそも、祗園の神社のいわれを探ってみると、スサノヲノミコトの子供に牛頭天皇とも、武答天皇ともいうものである、蘇民将来のこと、春の部に詳しく申した。今、七月に茅の輪といって掛けるのも、これからはじまったのであろうか。
また、祗園の縁起に載っているものとしては、天竺より北に国があって、九相と名付けてその国に吉祥という園がある。その園に城があり、城に王がいる。牛頭天皇と名付ける。または武答天皇という。沙渇羅竜王の娘を后として、八王子を生んだ。八万四千六百五十四の眷属があると見える。日本にはスサノヲノミコトと現れて、九相国には牛頭天皇と現れなさったのである。貞観十八年に託宣があって、山城国愛宕郡八坂郷という所に神社を造ったのである。
このまつりの日、四条京極において、栗のご飯を食べるのは蘇民将来の由緒であると聞いている。祭りは天治元年六月より始まったのである。むかしは内裏から勅使を立てたのである。臨時の祭りとして、十五日にあったときのことである。十四日のには禁中においてはこれという事はない。馬長などを遣わされるようである。今はその儀礼もない。ただ、氏子の風情をつくすばかりである。これは東遊(あずまあそび)というものを内裏から昔行われていた名残かと思う。
かみが代の 八坂の里と 今日よりぞ 君が千歳は かぞへ始むる
という歌を東遊の歌い舞うことを天延の旧記にみえる。また臣下というものは、いつのころか定かではない。これはきっと天皇の臣下が眷属のこころでもあるのだろう。
山鉾などというものは、作り物をして、神の心を諌め申し上げる意図であろうか。天照大神が天岩戸にこもりなさったとき、榊の枝に色々のものをかけて、神楽をして歌い舞ったので、面白さに耐えられずお出でなさったのである。神も物を愛するものであるうか。