練習の答え
それでは、以下に解答例を示します。なお、必要に応じて濁点、句点を加え、訓点があるところは割愛し、ルビを訓読どおりに読むことにしました。
【序文(一丁オ)】
通俗金言忠孝之部
長縄良右衛門校著
ある人のいひしハ 人と初て逢ひ
たらむ時 たかひに心さまの可否(よしあし)を
しらざれば うらなく物がたる中にも
たとハゝ朧夜にしらぬ山路をたどる
がごとし。しかハあれども詞はハ心の
花といへは かりそめにいひ出る詞の
【序文(二丁ウ)】
端しにすがりて其人の心の可否(よしあし)を
しらん事 人を識るの第一義
なり。よき人の詞はハ 玉の中の
光りを探るごとし。よからぬ
人の詞は烏羽(そすは)の文字をたづ
ぬる心地なるべし。よき人としら
バ むつまじく親むべしと
いへり。
注…一行目「端し」・四行目「光り」のように、本来送らないところで送った仮名を「捨て仮名」といいます。
【明恵上人御語抄(五七丁ウ)】
(六行目から)
○明恵上人御語抄に曰
人はあるべきやうハ といふ七文
字を可持(たもつべき)なり。僧ハ僧のあるべきやう。
【明恵上人御語抄(五八丁オ)】
俗ハ俗のあるべきやう。町人は町人の
あるへきやう。社人ハ社人乃至(ないし)
帝王ハ帝王 臣下ハ臣下のあるべきやうをそむく故に
一切あしきなり。下略ス。群書
類従の内 渋柿明恵上人と傳に有之。
北条泰時ハ此上人を師として天
下を治められしとなむ。
注…『渋柿』は江戸時代によく読まれた教訓書です。明恵上人は、源 頼朝に叛乱を促した文覚の弟子、上覚の弟子、つまり孫弟子にあたる人で、京都高雄の高山寺に住んでいました。
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